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RZ250 (2007/04)
RZ250入手から20年経過

2007年4月でRZ250(4L3)を入手してから20年経った。
当時はバイトしながらガソリン代とタイヤ代に圧迫されていたのでポン!と一括払いできず、更に未成年であったことから親の名義でローンを組ませて貰い、分割代金分を親へ渡すという状態でRZ250を入手した。
そのローン用紙に記入されていた日付が4月19日だ。

当時は80年代のバイクブーム真っ只中でTZR250(1KT)もデビューしており本命は「TZR」だったが手持ちの資金では購入するには高値の華の存在、結局バイク屋へお願いしたのが「20万円で買えるRZ250RもしくはRZ250RR」という条件だった。
しかし20万円で見つかるRZ250Rは事故車や転倒しまくった程度の悪い車体ばかりという状況だった。(条件を伝えた時点で「うーん…」と考え込んでしまった社長の姿は今でも覚えている…)
業者のオークションでは条件に見合う車体がなかなか見つからない中、バイク屋の顧客の中に750ccを持っているがRZ250も持っている人が居て、ピーキーな特性になじめずガレージに置かれたままの初期型RZ250があるという情報を聞かされた。
最初は「え〜、初期型…35psしか無い…」と乗り気ではなかったが、走行2700kmで屋根下保管の極上車という情報に「考えてみる」と言って保留にした。
当時のRZ250初期型(4L3)の扱いは中古で10万も出せば上等、というか余程のカスタム(RZ350Rのエンジンが載っているとか)を行っている車体でなければスペック至上主義の80年代では高額の部類だった。

当時の初期型RZ250(4L3)に対する評価は個人売買であれば5万とかタダという鉄屑同然の扱いであり、250ccクラスはメーカー自主規制馬力の45psギリギリまで性能がアップして当時の最新鋭機種であった87NSRに至っては自主規制を越えているだろうと皆が思っていた(というか本当に超えていたらしい)時代に純粋な35ps、カウル無し、YPVSなどの吸排気デバイス無しという前世代の遺物的なイメージでしか無かった。
事実、雑誌もレプリカとして扱わずに2st再起の名車だが排気デバイス無しなのでツーリングにも向かないし、決定的に少ない馬力とピーキーなトルク特性でお薦めしない車種として扱われることも多く、ひたすら安ければ良い人向けという扱いだった記憶だ。

そんな状況だったので初期型RZ250に20万円というのは当時の私でも乗り気ではなかった。
しかしバイク屋も流石はプロ、商談が進まぬ時点でRZ250を所有者から預かって綺麗にした上で店へ遊びに来た私に「ホ〜ラ、こんなに綺麗だよ?買う?買う?」と現車を見せつけたのだ。
原付しか持たない当時の小僧に現物攻撃は効果絶大、5年以上も経過しているのに屋根下という条件下で保管された色あせていない各パーツ、光り輝く(ように見えた)タンク、黒々としたシリンダ周り…あっさりと陥落、既に親からの承諾は取っていたのでローン用紙を預かって契約へ進んだ。

時代はバブル絶頂期、GSX-R1100が300km/h狙えるバイクだという雑誌の記事や、NSR/TZRなどが進化し、更にγも進化していった中で非力な35psを乗り回し、コカし、そして友人達の最新レプリカに置いてきぼりを喰らいまくった。
まさかその数年後にカワサキがゼファーを発表し、レプリカブームからネイキッドブーム、そしてユーザーを中心としたRZブームが訪れるとも知らずに。
やがて四輪に興味が移ってしまった後はイニシャルD(のギャラリーレベルか、俺は)みたいな事したりしてRZ250は家の敷地内でカバーをかけられたまま数年間放置されることになった。
それから数年経った1995年に「足」として復活させ、遠くは神戸、近くは仕事の足として1999年までメインマシンとして活躍してくれた。
GPZ900Rを購入した時は「コイツに乗れるのもあと1・2年かな…」なんて思うことも多く、乗れなくなる事を覚悟していたが気がつけば7年経ってしまった。

今ではタクシーに抜かれまくりピンクナンバーの通勤スクーターにも負けそうなRZ250、確実に勝てるのはチョイノリぐらいか?なんて冗談も言いたくなる程だが、癖があるもののリアに荷重をかけることで面白いようにラインを変えることが出来る車体設計、そしてグニャグニャのフレームに独特のエンジンフィーリング…とバイクの楽しみは速さだけではないことを今も認識させてくれる。
あと何年、コイツを維持できるのだろうか?


before (1987)

購入後に知人宅の前で撮影したもの。
あたりまえだが当時は庶民向けのデジカメなど存在せず、レンズ付きフィルムカメラの「写るんです」で撮影。
実はこの日の写真しか残っていないという哀しい状況。


after (2007)

20年後の撮影画像。
タンク・ホイルなどは他車からの移植もの、エンジンも現在は別のケースが使用されている。(1998年前後の不調期にエンジンを載せ替えている為)
左の画像でわかる通り本来のカラーは青3本ライン、つまりフレームは82年型ということになる。