ビキニカウル・アンダーカウルもセットになったYSP仕様だったが、日本凧かと思うようなビキニカウルは好きになれずにバイク屋に進呈し、アンダーカウルのみを残した。(そんな物が10年後には極一部の間でプレミアになった) 本当は当時の最新バイクであるTZR250(1KT)が欲しかったのだが手持ちの資金は20万円が限度。おりしも空前のバイクブームで、たった20万円ぽっちの予算では最新レーサーレプリカが買える訳もなく、旧モデルとなるRZ250Rでも20万円を切る物件は難有り多しだったことから程度の良い初期型のRZ250を選んだ。 当時は初期型RZ250が程度を問わなければ2万や3万、は中型免許(現在の二輪車普通免許)取得に伴い購入したのはRZ250(4L3)だった。 当時は空前のバイクブームでクォーター(死語)が車検もかからず、更に2ストロークエンジンであれば車検ありの400ccクラスとも渡り合えることから大人気となっていた。 その為、最初はTZR250(1KT)などが欲しかったのだが資金が足りず、妥協しまくって選んだのがRZ250であった。 世話になっていたバイク屋の社長が紹介してくれた車体は走行2800kmのまま1982年から1987年まで5年間眠っていたもの。 オーナーの方は750ccも持っており、ピーキーでトルクが少ないRZ250はほとんど乗ることは無く無事故無転倒、雨天未走行という新古車に近いコンディションは現在からすればプレミア物なのだが、当時は35psしか出ない旧世代の車両として不人気車両とも言える扱い。 ちなみに購入価格は18万円、その金額に周囲からは「初期型RZなんてタダで貰うものだ」「解体屋で2万もあればお釣りが来る」「河川敷を歩けば捨てられているのが見つかる」など散々言われたものだ。 それでも50ccしか乗り回していない私にとっては歴とした250ccのオートバイ、色々と不満はあったが嬉しかったのは確かだ。てはタダといった状態で取引されていたが、そんな時に初期型で20万円出す行為は周囲から半分呆れられた。 NSRなどの登場でメーカーが馬力を自主規制する時代に素のままで35psしか絞り出せない非力な出力、17インチ時代に残された18インチのRZ250は最新レプリカマシンと比べると劣る部分が多い。しかし、それまで乗ってきたMBX50などと比べると確実なステップアップだった。
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